昨日の新潟日報に
ある訃報が載っていました。
え!
とあるじ。
え!ホント?と私。
ヨネックスの創業者、米山稔さんが亡くなったという記事。
95才でした。
![](https://www.ho-gan-do.com/wp-content/uploads/2019/11/DSC_5827-150x300.jpg)
あるじも私もヨネックスの東京本店に勤めていました。
当時はヨネックススポーツ’という会社名。
会社名を名乗る、電話の第一声、すんごく言いづらかったーっ。
ス、が、続いてるんだもの!
相手も聞き取れないし、こちらも言いにくい。
そして、最初の’ヨ’が聞こえないとクレーム。
電話が鳴る、電話を取る、
そして、速攻、間髪入れずに
’(ヨ)ネックスです’
って言うんです。聞こえないよ、それじゃ。
たまに電話すると、
あんまり変わってなくて、
苦笑です。
今私が、電話を取ってから、
一呼吸いれて、’宝巌堂です’って言うのは
この時の教訓なんですよね。
できるだけゆっくりを心がけて。
米山稔さんは、入社した当時は社長で、
初めてお会いしたのは、
社長面接でした。
’君はどうして今日、遅れたのかね?’
が第一声。
’えーーーーっ????
なにそれ~!遅れてないしーーっ!
てか、私のあとの人が遅刻してるんで
先にどうぞ、って言われたんですけどっ!’
って、頭の中ぐるぐるよ~~~。
そしたら、隣にいた担当の部長さんが慌てて、
社長に説明してくれて事なきを得ました。
(当たり前だけどねっ)
面接の内容は全く覚えてない。
ただこの時社長が、
’あ、そうでしたか。
それは大変失礼しました’
と、謝罪。
30年近く経つけれど、
今でも鮮明に覚えています。
当時は、ヨネックスはまだまだ発展途上でした。
ラケットの品質に対しては
まだまだクレームもあったし、
お給料も安かったし、
有給は取れないし、
残業はあったし、
おまけに社員販売はめちゃ高いし、
在庫確保しに、倉庫に日に何度となく走ったし。
今だったらけっこうな環境だったかも。
週3~4も飲みに行っては
会社の文句をブーブー言ってたなぁ。
でも、
一緒に働く仲間たちには恵まれてた。
同期も、先輩も、後輩も。
一緒に同じ苦労を分かち合ってきた戦友だな。
今年、
ヨネックスを退社したOBOG達の会が
発足しました。
私とあるじは行けなかったけど、
仲間が写真を送ってくれました。
懐かしい顔・顔・顔。
社長に面と向かってお会いしたのは
この面接が最初で最後。
でも、上野駅で、
改札に向かってずんずん、ずんずんと
エネルギッシュに歩く姿を何度か目撃したことがあります。
長岡の近く、越路町の本社から東京に出勤してた頃ですね。
あの頃は、辞めたい~~!って思ってた会社だったけれど、
今思えば、
素直に感謝の気持ちでいっぱいです。
揉まれて、揉まれて、
成長しました!
社長、ありがとうございます。
ご冥福を心からお祈りいたします。