林檎屋の絵、再び。

両親は

林檎屋という名前の果物屋を、

浅草で50年間営んでいました。

父が商売を辞めることになり、

林檎屋も閉店となりました。

もう、10年前のこと。

 

せっかくだから何か記念に残るものを残したいよね、

でも、写真を撮る、だけでは何だか物足りない。

絵を描いてもらうのはどう?

そんな案が出ました。でも、絵描きの知り合いなんていないし、

どうしよう。

 

幼なじみの浅草の友達に相談したら、

なんとスカウトしてきた!

雷門のところで、絵を描いていた紳士を!

描く絵を後ろからじっと見ていた彼は

紳士に声をかけたんですって。

こういう理由なんですが、絵を描いてもらえませんか?と。

 

そして、12月の寒い数日間、

紳士は林檎屋の向いの歩道に陣取り、

林檎屋を描いてくださった。

ご近所の薬屋さんから、寒いでしょう、と

温かい飲み物の差し入れもあったんですって。

なんとも下町ですねー。

 

こうして出来上がった絵です。(これはそれをハガキにして私にくださったもの)

お客さんの相手をする父。

電話をしている母。

愛用の自転車も入っている。

自動代替テキストはありません。

お隣の浅草の名店、どぜう飯田屋さんも描かれています。

飯田屋さんの存在で、ウチがどこにあるか、

想像がつくようなので、ありがたいことです。

 

先日、この絵をご覧になったお客様と

楽しい会話になりました。

 

’どうしてこの絵がここに飾ってあるんだろう、

隣は飯田屋さんで、たまにこのお店には行くし。

女将さんは浅草生まれだって聞いたけど、

そういえば、

館内に飾ってあるのは、ふじ屋さんのてぬぐいですよね?

何か関係があるのかなぁ、このお店も’

 

次から次へと疑問がわいてきたご様子。

それもそうですよねぇ。

栃尾又と浅草のつながり。普通はつながりませんよね。

 

そんなわけで、この絵に目を留めてくださったこと、

私もとっても嬉しくなりました。

いつも飾ってあるから、チラ見しているけれど、

じっくり見るのはそういえば久しぶりです。

 

絵が完成したのが2005年12月19日。

父の命日と近かった。

今気が付いた。

 

7回忌が終わり、次の回忌まではまだまだ。

毎年、ちゃんと家族で集まってくれよ、

母の日が近いからなぁ、

母に電話でもしてやれ、ってことかな。

 

この絵に目を留めてくださって、

本当に感謝の日でした。

 

 

 

 

 

 

 

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