48才で魚沼に嫁いだ彼女のこと

大事な人とのお別れについて、

宝巌堂のブログに書くのは、たぶん4回目だ。

最初は大学の友人。飛行機事故だった。

そして、林檎屋父。

あっという間に逝ってしまった。

それから、栃尾又がとってもお世話になった高野じぃ。

ホントのじぃみたいだった。

 

そして、

この満月の晩、

魚沼に嫁いだ友人が旅立った。

 

 

彼女は48才で結婚した作家さん。

友達になったきっかけはツイッターのフォローだった。

その後、

雑誌のライターをしている高校時代の私の友人が、

なんと、彼女を取材することになった!

 

それから一気に距離が縮まり、

私とティートリーサロンさんが主宰する、うおぬまつながるランチ会’にお誘いした。

この会は

魚沼に住む様々な人達と情報交換をしながら、

楽しくお昼ご飯を食べましょう!の会。

この狭い地域で、気軽に挨拶できる仲間が一人でも多くいたらいいな、

そして、それが人脈を広げたり、ビジネスにつながったり、

同じ志を持つ仲間ができたり、

魚沼に住むみんながつながれたらいいな、という、

文字通りの会だ。

年代層も様々だから面白くて、でも、ゆるゆるとした会。

 

こんな気楽なランチ会に彼女も参加してくれた。

楽しかったかな、と不安だったけれど、

忙しい合間を縫って、みなと恒例の記念撮影に何度も収まった。

 

最初に会ったときの言葉、忘れない。

 

’やっと会えた??!’

って、そんな言葉をくれた。

 

去年、皆さんもご存じの私の大事件、大腿骨骨折で、

長岡日赤に入院した時は、わざわざお見舞いに来てくれた。

とっても元気だったけど、

あれ?前よりもなんだか痩せた。

でも言えなかった。

言えないくらい、だったのだ。

 

それから、しばらくして、実は入院しているという知らせが届く。

 

浦佐に新しくできた魚沼基幹病院にいるとのことで

早速お見舞いに行ったのだけれど

残念ながら、会えなかった。牛乳を買いに行ってたんだって。

もう少し待っていればよかったなぁ。お互いに残念がった。

 

 

 

それが今年の2月のこと。

 

それからほどなくメッセージをくれた。

それは、骨折したとき、

トイレが和式でとても大変だった、

という私のコメントへのアイデアだった。

 

 

’こんにちは!

お忙しい週末を送っていらっしゃることでしょう。

さて、魚沼観光に必要なものを思い付きました。

バリアフリーの飲食店ガイドです。

病み上がりの私も、高齢で足の弱った父親も、

お座敷で正座と、和式トイレが苦手です。

椅子席と洋式トイレの飲食店、魚沼では実は少なかったりしますよね。

あと急な階段で、2階のお席のお店もあります。

お店の人への啓発になるよう、バリアフリーガイドがあるといいなー!’

(原文のまま)

 

早速、お昼マップに、わかるところは記入した。

自分も怪我をしなければわからなかったことだ。

 

48才のお嫁さん、

若い時ならいざ知らず、この年になってからの’移住’は

大変な苦労があったと思う。

でも、

魚沼のことが大好きで、魚沼をもっともっと知ってもらいたい、

住みよい場所にしたい、という思いは、

魚沼市民以上だった。

盛り上げるために、自分たちには何ができるか、

ランチ会の後も仲間となんやかんやと盛り上がったよ。

今度いつ飲む?!合言葉のようだったけど

結局たったの1度しか飲めなかった。

 

 

最後に会ったのは8月下旬。

9月に入って、会いに行こうと思いつつ、

行けなかった。

また会いに来るからね、と、

結果的に嘘をついた。

 

彼女は闘病記を書いていた。

その本が手元に届いたのを見届けて、

旅立ったそうだ。

壮絶な闘病だった、まったく知らなかった。

読みながら、不思議と涙は出なかった。

なにか、強い決意を感じて、

読み手である私たちは、

彼女のその意思を尊重しなくては、

そんな心持ちだった。

 

もっとたくさん話がしたかった。

もっと一緒に魚沼を盛り上げていきたかった。

もっともっとあなたの力、必要だったよ。

嫁に来たあなただからこそ、

できることがたくさんあったでしょう。

 

魚沼を楽しく、

もっとワクワクと。

彼女の思いを少しでも実現したい。

お昼マップも、バリアフリー情報をこれからもっと取り入れよう。

 

天国から見ててください。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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